1967-07-20 第55回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号
その何の国、何の評、何の里というのを——評というのは普通は郡というのを使っておりまして、日本書紀などはみんな郡の字、国、郡、里と書いたのが、大化改新のときにも、地方は郡、里に分けたとはっきり書いてあります。そのほかいろいろなところに出てまいりますのは、全部何の国、何の郡、何の里と書いてあるのであります。ただ、その当時の金石文には、郡に当たるところが評と書いてあります。
その何の国、何の評、何の里というのを——評というのは普通は郡というのを使っておりまして、日本書紀などはみんな郡の字、国、郡、里と書いたのが、大化改新のときにも、地方は郡、里に分けたとはっきり書いてあります。そのほかいろいろなところに出てまいりますのは、全部何の国、何の郡、何の里と書いてあるのであります。ただ、その当時の金石文には、郡に当たるところが評と書いてあります。
請願(委員長報告) 第四二六 兵庫県奈佐村の地域給に関する請願(委員長報告) 第四二七 兵庫県奥佐津村の地域給に関する請願(委員長報告) 第四二八 兵庫県口佐津村の地域給に関する請願(委員長報告) 第四二九 徳島県鳴門市の地域給に関する請願(委員長報告) 第四三〇 徳島県辻町の地域給に関する請願(委員長報告) 第四三一 徳島県加茂町の地域給に関する請願(委員長報告) 第四三二 徳島県郡里町
第五二〇号) ○兵庫県港村の地域給に関する請願 (第五二一号) ○兵庫県奈佐村の地域給に関する請願 (第五二二号) ○兵庫県奥佐津村の地域給に関する請 願(第五二三号) ○兵庫県口佐津村の地域給に関する請 願(第五二四号) ○徳島県鳴門市の地域給に関する請願 (第五二五号) ○徳島県辻町の地域給に関する請願 (第五二六号) ○徳島県加茂町の地域給に関する請願 (第五二七号) ○徳島県郡里町
————————————— 第五五七号 昭和二十六年十月二 十日受理 戰争犠牲者遺族の援護強化に関する請 願 請 願 者 徳島県美馬郡郡里町 郡里町遺族会内 加 藤義夫外三百四名 紹介議員 平井太郎君 対日講和條約も調印され国際社会に復 帰する日も間近になつた、今日なほ、 戰争犠牲者遺族は、社会的冷遇のまま 放置されている状態で、子女の教育、 日々の生活
――――――――――――― 五月二十三日 郡里町に簡易郵便局設置の請願(眞鍋勝君紹 介)(第二二九五号) 簡易生命保険及び郵便年金積立金の運用権を郵 政省に復元の請願(森曉君紹介)(第二四〇〇 号) の審査を本委員会に付託された。
○山戸専門員 本請願の要旨は、徳島県美馬郡郡里町は、葉タバコ、木炭、木材等の産地であり、隣接貞光町、脇町へは、ともに約九キロ離れている。金融機関としては阿波商業銀行があるのみで、郵便局は郡里郵便局まで六キロ、岩倉郵便局まで七キロもあるから、農家はやむなく現金を死蔵する傾向がある。郡町里及び岩倉村民はともに郵便局設置を要望し、実現による町村民の受益は多大である。